2009年11月30日月曜日

10年前の話。

昔の演奏テープ(MDとか)をPCに取り込む作業をしながら、ラベルを見ていろいろ思い出していた。
Hちゃんのお葬式にはこのHちゃんの最後の演奏テープがずっと流れていたっけなぁ・・・。


その年は私にとっても大変な年だった。
年明けに体調を崩し、1ヶ月の休職を申し渡されるも仕事に支障が出るからと2週間で切り上げた。しかし会社の経営が思わしくなく真っ先にリストラの対象とされてしまい、4月末には職を失った。

所属の団体も人間関係のぎくしゃく加減が最高潮だった(自分にとって、だが)。
頼みの綱のMが付き合って間もない彼女とごたごたして憔悴しきってしまったし、自分の生活は危ういし、で、いらいらがつのっていたのは確かなことだ。

それでHちゃんのことも気づかなかった。気づかないふりをしてしまったのかもしれない。

ユーフォの彼女はその年たくさんのソロを受け持たざるを得なかった。もう一人のユーフォが転勤か何かでいなくなって、すべてを背負い込むような形になってしまった。

演奏会直前、Hちゃんの様子はおかしかった。
咳が止まらない。倒れ込むほどに咳き込む。相談されたが、どうにもしようがなかった。
ソロを吹いても今まで出ていた音が出ない。プレッシャーがかかってスランプなのかな、と思ってしまった。


しかし。
一人だけ気づいた人がいた。
ものすごく不安になって私に電話をくれたのだが、このときも私は受け流してしまった。


演奏会直後、賛助の一人となごやかに話している彼女を見たのが最後か。
近くの打ち上げ会場に行って、ごたごたしているうちにメンバーの医者である人を呼ぶ声がした。

振り返ると彼女が倒れている。

'ドクター'はつい立てを彼女のまわりに置くように指示、意識確認を始めた。
救急車を呼んでもらった。

ドクターは救命救急の経歴もあった。うちの団には看護婦もいた。
最終的には病院までの付き添いはこの二人に頼んだのだが、途中、病歴や連絡先の確認などをするまでは私も救急車の車内にいたのだ。

救急隊員ははじめのうち、急性アルコール中毒じゃないのか、とのんびりした様子だった。
もちろん、質問もそういうところから。何しろ、中華料理屋での要請で、30〜40人の飲み会だから、そう見えるだろう。


どのくらい飲んだの、と聞かれる。
こっちはそんなこと予想もしてなかった。
いえ、一滴も。
だって、まだ飲み会始める前だったんです。


病歴も、何故か私は本人から聞いていた。
その5〜6年前か、脳梗塞を起こして、右半身が動かなくなったこと。
今も高血圧で目薬などを必要としていること。


その後はドクターが、
脈が触れません。と言った。

左右どちらかだったのかは忘れたが、確か片方だけ脈が触れなかったらしい。

時折Hちゃんは意識を失いかける。
それをドクターが必死で引き戻す。

痛い、痛いというHちゃん。
痛い場所が増えて行く。


私はパニック発作と戦いながら、それでも彼女を病院へ連れて行って、彼女のご家族に連絡しなければ、と必死に耐えていた。


ナースのSさんが到着。手際よく彼女の服を緩めてくれた。
ここで私は失礼させてもらう。この二人がいてくれれば大丈夫だろう。そう思った。


打ち上げ会場に入ると別世界だった。
そうか、あの様子を知らないから・・・。


何人かに容態を聞かれたが、私にはわからない。
次の日にお見舞いに行きたい、という人もいたが、まだ病院も決まってないし、と答えたのを覚えている。


付き添いで行った二人を待つために、二次会へ。
二人が戻って来たのは真夜中だった。二人とも目を赤くしていた。
後から聞いた話だが、ドクターはHちゃんの状態がよくわかっていたらしい。ナースはそんなドクターを気遣っていたっけ。

明け方、家に戻り、その日の午後は友人の結婚式の2次会へ。
何かあったら連絡をください、と団長に伝えておいた。

午後4時くらいだったろうか。
電話が入る。
亡くなった、と。


急いで病院へ向かったが、彼女には会えなかった。

葬儀の詳細が決まってからでいい、という団長を前に、とにかく今すぐ団員に連絡すべきだ、と主張した。
お見舞いに行ってから実は亡くなってます、なんて知らされるのは辛過ぎる。詳細は後で連絡することにして、手分けして電話をかけはじめた。


それからの数日、よく泣いた。
一人暮らしで仕事もない。
歯止めが利かない。


葬儀にはほとんどの団員と、賛助の方も集まってくれた。
仕事の同僚らしい人もたくさんいて、彼女がどんな風に過ごしていたか、改めてわかった気がした。


とても気遣いのできる人だったのだ。
賛助にも、新入団員にも、分け隔てなく声をかけ、気遣った。
優しい人だった。


棺の中には、最後の演奏会の楽譜を入れてもらっていた。
彼女宛に届いていて、私が預かった花も、入れてもらった。
金管吹き同士、口紅をつけたところは見たことがなかったのに、この日はピンクの口紅をして、化粧をしていた。別人のようだった。


葬儀の後、ドクターから
つらいところに付き合わせてしまってすみません、
と言われた。
何のことかわからなかったが、どうやら救急車の車内ですでにドクターはわかっていた、ということだろう。
でも、ドクターだからって知人のそういう場に居合わせてしまうのもとてもつらいことに違いない。





しばらく立ち直れなかった私はマネージャー職を降りた。仕事も見つからないままだったし、とにかく他人の世話をしているような状況、状態ではなかったから。


そんな私のことを気遣ってくれる人はほんの数人だったけど。
降りる、といったのに総会で推薦した人がいた。事前に伝えてあったのに?
推薦しちゃいけない、ってことじゃないもんね〜、と楽しそうに言われた。だから、むかつく、と言ってしまった。そしたら、その後1年くらい口をきいてもらえないばかりか、いろんな人にあることないこと触れ回っていたらしい。9才も年上のくせに、大人げないなぁ。。。まったく。

悪いときには悪いことも続くものらしい。
ちょうどその頃、熱心に勧誘してきた人がいた。
先のことを見通せる「先生」の会に入らないか、と。
入会金100万、月15000円くらいだったか。

100万、って・・・。それを払って「会員」になると、好きなときにその「先生」に相談できるのよ、と知人が言う。
昔からの知り合いがたくさんいたので付き合っていたが、その言動にぼろが出始めたころ、連絡を絶った。あぁ、危ない。まったく。そのおじいさんを囲って食い物にしてるだけじゃないのか。



進むべき道に迷ったら、相談したくなる。が、自分でよく考えて決断する、そのことに責任を持つのは自分自身、それが生きて行くってことじゃないのか。

そんなことを考え、
明日があると思っていても、いつなくなっちゃうかわからない
なんてことも身にしみた、10年前。


あぁ、しっかりしなくちゃね。今の自分。

ーーただいま、平和(?)ぼけ中・・・(^_^;;;;

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