昨年手術をした友人から突然の電話。
再発した、という(ガンではないが)。
友人は手術中に抗生物質に対してアレルギーを起こし、入院が長引いたし仕事の復帰も一ヶ月後になったのだった。
そんな思いをしていたのに、再発。
また手術するかどうかは様子見だというが、腹痛がひどいらしい。
何をしてあげられるだろう?
心配させまいと家族にも言えない辛さを聞いてあげるだけなのだろうか。
2008年10月27日月曜日
2008年10月20日月曜日
2008年10月17日金曜日
異臭騒ぎ
家に帰って窓を開けたら、異臭がした。
出かけるまでは工事の重機の排ガスが凄かったのだが、ペンキとか灯油といった油の臭いに変わっていた。
出かけるまでは工事の重機の排ガスが凄かったのだが、ペンキとか灯油といった油の臭いに変わっていた。
気分が悪くなりそうだったのでしばらく閉めていたが、夜には窓を開け放った。
22時30分頃、突然騒がしくなった。警察が来たのだ。誰かが通報したとのこと。
臭いは夕方に比べたらはるかに薄いし、自分としては今更な感じだ。
隣の工事現場と我がマンションの敷地内を捜索していった。
覆面1台、パトカー3台分もの人員が投入された割には、あっさりと引き揚げていったようだ。
色々質問に答えたのに、特に説明されないままいなくなられた。
…なんだったんだろうなぁ。
2008年10月10日金曜日
2008年10月7日火曜日
ねんきん特別便
ようやく届いた。
以前、今ほど年金問題が取り上げられていない時期、転職を繰り返した自分の記録が果たして正しくつながっているのか確認したことがあった。
ネットでできる、というので、IDの申請を行って2週間ほどで確認できた。
とりあえず加入期間に抜けがなかったことは見たが、現在問題になっている「標準報酬月額の改ざん」に対してはチェックしてなかった。
夫にも笑われたが、'91年の入社以来、自分の給与明細はすべて保存してあるので、恐らく標準報酬月額のチェックも可能である(確か制度の変更があったような、なかったような、、、であるのでどの程度正確にできるかは微妙)。
漠然とした不安からとってあったものが、こんな形で役に立つなんて、ね。
以前、今ほど年金問題が取り上げられていない時期、転職を繰り返した自分の記録が果たして正しくつながっているのか確認したことがあった。
ネットでできる、というので、IDの申請を行って2週間ほどで確認できた。
とりあえず加入期間に抜けがなかったことは見たが、現在問題になっている「標準報酬月額の改ざん」に対してはチェックしてなかった。
夫にも笑われたが、'91年の入社以来、自分の給与明細はすべて保存してあるので、恐らく標準報酬月額のチェックも可能である(確か制度の変更があったような、なかったような、、、であるのでどの程度正確にできるかは微妙)。
漠然とした不安からとってあったものが、こんな形で役に立つなんて、ね。
2008年10月4日土曜日
道でぶつかったら謝ろう。
先日、五反田の交差点で、足払いを食った。
踏み出した、というか宙に浮いた私の右足を蹴り払って行った、中年の女性がいた。
私は左股関節の状態が悪いため、バランスを崩しやすい。もちろん、杖もなく歩いている私に謝れ、というつもりはない。さすがにそういう人にはしないだろうし、見てわかる状態ではない自分に気遣いを求めるつもりは毛頭ない。
だが、明らかに「私の足を蹴った」わけである。
私の状態がどうであれ、「すみません」の一言があってしかるべし、ではないか。
最近、道で、あるいは店内で、ぶつかっても(ぶつけても)無視して行ってしまう人が増えた。
また、歩道いっぱいに広がって歩いて、向こうから歩いてくる人、後ろから来る急いでいる人などを気にしない人も増えたような気がする。
以前は親がしつける言葉をよく耳にしたものだ。
先日も親子2組が広がって歩いていた。道にはその集団と私のみ。子供は私が避けて当たり前のように、ずんずん向かってくる。
仕方ないので、電柱の陰で避けてあげたが、親はおしゃべりに夢中で気づかない。
私の偏見かもしれないが、普段から周囲に対して気遣いをしながら暮らしているならば、気づくようなことなのではないかな、と思う。
かくいう私も、周囲に対して攻撃的な時期もあった。しかし、ある時道を譲った私に、自転車のおばさんが「すみません」と謝ってくれたのだ。それで、「もう少し周りに優しくしよう」と思った。自分が攻撃的にしていると、それが自分に返ってくるような気もしてきた。
だから、自分が他人にぶつかってしまったとき、邪魔してしまったとき、「すみません」「ごめんなさい」と言うようにしている。まれに、相手も言ってくださる。そんなとき、ちょっと嬉しい。
踏み出した、というか宙に浮いた私の右足を蹴り払って行った、中年の女性がいた。
私は左股関節の状態が悪いため、バランスを崩しやすい。もちろん、杖もなく歩いている私に謝れ、というつもりはない。さすがにそういう人にはしないだろうし、見てわかる状態ではない自分に気遣いを求めるつもりは毛頭ない。
だが、明らかに「私の足を蹴った」わけである。
私の状態がどうであれ、「すみません」の一言があってしかるべし、ではないか。
最近、道で、あるいは店内で、ぶつかっても(ぶつけても)無視して行ってしまう人が増えた。
また、歩道いっぱいに広がって歩いて、向こうから歩いてくる人、後ろから来る急いでいる人などを気にしない人も増えたような気がする。
以前は親がしつける言葉をよく耳にしたものだ。
先日も親子2組が広がって歩いていた。道にはその集団と私のみ。子供は私が避けて当たり前のように、ずんずん向かってくる。
仕方ないので、電柱の陰で避けてあげたが、親はおしゃべりに夢中で気づかない。
私の偏見かもしれないが、普段から周囲に対して気遣いをしながら暮らしているならば、気づくようなことなのではないかな、と思う。
かくいう私も、周囲に対して攻撃的な時期もあった。しかし、ある時道を譲った私に、自転車のおばさんが「すみません」と謝ってくれたのだ。それで、「もう少し周りに優しくしよう」と思った。自分が攻撃的にしていると、それが自分に返ってくるような気もしてきた。
だから、自分が他人にぶつかってしまったとき、邪魔してしまったとき、「すみません」「ごめんなさい」と言うようにしている。まれに、相手も言ってくださる。そんなとき、ちょっと嬉しい。
登録:
投稿 (Atom)