とある会社の社長。言動がおかしい。
◆それ、流行ってる?
旧来の知人(日本の人ではないらしい)から、最近流行ってるんですよ、知ってます?と渡された手みやげ。
それは「メガネ部」とロゴの入ったジャージだった。(「眼鏡部」なのか「めがね部」なのかも、不明。だって見てないもん)
何故か気に入った社長、朝から上下ジャージ姿で社内をうろつき、接客まで。
これ、最近流行ってるんですよ、知ってます?
お客様にそう言って回ったらしい。
経理にも見せびらかしに来たものの、誰も当然知らないから無視。
手持ち無沙汰になった社長、何を思ったか社内の基幹業務の端末をいじってしまった。
これ、押しちゃまずいよね?
聞いてくれてありがとう!
それは大事な累計ファイルクリアのジョブです!!!今日はそれを押す日じゃありませんから!
で、お母様である会長に見つかった社長。
叱られてソッコー着替え。
50過ぎて何やってんの?
◆おふらんすかよ
社内のコンピュータ当番を、経理以外の人にもやらせよう、なんて話が出たときのこと。
端末のメッセージがわかればいいんだよ、なんて社長が知ったかぶりをはじめた。
EXITとかENDとか、FINとかね!
付き合いの長いSHの担当者にちくってみた。
反応は・・・おフランスかよ!
でした。
◆知ったかぶりもいいけど
顧問の先生と雑談中の社長。
あの、カルザスホールもそうでしょう?
社長、違います。いや、内容じゃなくて、ホールの名前。
正しくは カザルスホール です。
◆そんなに見栄を張って話を合わせてたんだ
顧問から、社内の一部門だけ顧客データベースを作ることを勧められた社長。
その部門はちょっと業務が違うから、なるほど、な感じ。
顧問が帰ってから尋ねられた。
データベース入れると、何ができるんですか?
それ、顧問に聞いてください。。。と思ったものの、導入事例とかネットで調べたらいかがです?と返答。
社長は、じゃあ、それを調べるキーワードを教えてください。あなたの使ったものでいいから。
そのくらい自分でお考えになったらいかがですか?
◆聞いただけ〜
システム変更日をGWにしようという話。
ママさんSEに向かって、それでいいですか、と社長が尋ねた。
SE、ちょっといじわるして
私がだめ、って言ったら別の日にしてくださるんですか?
と尋ねたら、
聞いただけです。
と言い切られたそうな。
2009年11月30日月曜日
昔の、ネタ。
ネタ、といっても作り話じゃありません(^^;
すべて、本当です。
◆言語道断
J部長は熱い男だ。
会議の席で熱く語ること、数知れない。
しかし、やってしまうわけだ。
そんなの、げんごどうだんなんだよ!
・・・げんご? いやいや、ごんごどうだん、って読むんじゃないでしょうか。
◆気骨
またもや熱く語り・・・始める前。
ああいう、きぼねのある人っていいね!
・・・うーん、たぶんそれは きこつ って読みます。
◆それは大阪の話だっけ?
熱く語るのはいいけど、みんな聞いてないんです。主任も。
このままじゃ、食い倒れなんだよ!
顔を上げたのは私だけかよ! それは 共倒れ って言うところでしょう!!!
これ、親会社の人に言ったら、ネタでしょ?って言われた。
でも、その人もおかしい。
だって、真面目な金融関係の仕事なのに、ネタ帳持って歩いてる、って言うから。
何書くのかわからん。
すべて、本当です。
◆言語道断
J部長は熱い男だ。
会議の席で熱く語ること、数知れない。
しかし、やってしまうわけだ。
そんなの、げんごどうだんなんだよ!
・・・げんご? いやいや、ごんごどうだん、って読むんじゃないでしょうか。
◆気骨
またもや熱く語り・・・始める前。
ああいう、きぼねのある人っていいね!
・・・うーん、たぶんそれは きこつ って読みます。
◆それは大阪の話だっけ?
熱く語るのはいいけど、みんな聞いてないんです。主任も。
このままじゃ、食い倒れなんだよ!
顔を上げたのは私だけかよ! それは 共倒れ って言うところでしょう!!!
これ、親会社の人に言ったら、ネタでしょ?って言われた。
でも、その人もおかしい。
だって、真面目な金融関係の仕事なのに、ネタ帳持って歩いてる、って言うから。
何書くのかわからん。
10年前の話。
昔の演奏テープ(MDとか)をPCに取り込む作業をしながら、ラベルを見ていろいろ思い出していた。
Hちゃんのお葬式にはこのHちゃんの最後の演奏テープがずっと流れていたっけなぁ・・・。
その年は私にとっても大変な年だった。
年明けに体調を崩し、1ヶ月の休職を申し渡されるも仕事に支障が出るからと2週間で切り上げた。しかし会社の経営が思わしくなく真っ先にリストラの対象とされてしまい、4月末には職を失った。
所属の団体も人間関係のぎくしゃく加減が最高潮だった(自分にとって、だが)。
頼みの綱のMが付き合って間もない彼女とごたごたして憔悴しきってしまったし、自分の生活は危ういし、で、いらいらがつのっていたのは確かなことだ。
それでHちゃんのことも気づかなかった。気づかないふりをしてしまったのかもしれない。
ユーフォの彼女はその年たくさんのソロを受け持たざるを得なかった。もう一人のユーフォが転勤か何かでいなくなって、すべてを背負い込むような形になってしまった。
演奏会直前、Hちゃんの様子はおかしかった。
咳が止まらない。倒れ込むほどに咳き込む。相談されたが、どうにもしようがなかった。
ソロを吹いても今まで出ていた音が出ない。プレッシャーがかかってスランプなのかな、と思ってしまった。
しかし。
一人だけ気づいた人がいた。
ものすごく不安になって私に電話をくれたのだが、このときも私は受け流してしまった。
演奏会直後、賛助の一人となごやかに話している彼女を見たのが最後か。
近くの打ち上げ会場に行って、ごたごたしているうちにメンバーの医者である人を呼ぶ声がした。
振り返ると彼女が倒れている。
'ドクター'はつい立てを彼女のまわりに置くように指示、意識確認を始めた。
救急車を呼んでもらった。
ドクターは救命救急の経歴もあった。うちの団には看護婦もいた。
最終的には病院までの付き添いはこの二人に頼んだのだが、途中、病歴や連絡先の確認などをするまでは私も救急車の車内にいたのだ。
救急隊員ははじめのうち、急性アルコール中毒じゃないのか、とのんびりした様子だった。
もちろん、質問もそういうところから。何しろ、中華料理屋での要請で、30〜40人の飲み会だから、そう見えるだろう。
どのくらい飲んだの、と聞かれる。
こっちはそんなこと予想もしてなかった。
いえ、一滴も。
だって、まだ飲み会始める前だったんです。
病歴も、何故か私は本人から聞いていた。
その5〜6年前か、脳梗塞を起こして、右半身が動かなくなったこと。
今も高血圧で目薬などを必要としていること。
その後はドクターが、
脈が触れません。と言った。
左右どちらかだったのかは忘れたが、確か片方だけ脈が触れなかったらしい。
時折Hちゃんは意識を失いかける。
それをドクターが必死で引き戻す。
痛い、痛いというHちゃん。
痛い場所が増えて行く。
私はパニック発作と戦いながら、それでも彼女を病院へ連れて行って、彼女のご家族に連絡しなければ、と必死に耐えていた。
ナースのSさんが到着。手際よく彼女の服を緩めてくれた。
ここで私は失礼させてもらう。この二人がいてくれれば大丈夫だろう。そう思った。
打ち上げ会場に入ると別世界だった。
そうか、あの様子を知らないから・・・。
何人かに容態を聞かれたが、私にはわからない。
次の日にお見舞いに行きたい、という人もいたが、まだ病院も決まってないし、と答えたのを覚えている。
付き添いで行った二人を待つために、二次会へ。
二人が戻って来たのは真夜中だった。二人とも目を赤くしていた。
後から聞いた話だが、ドクターはHちゃんの状態がよくわかっていたらしい。ナースはそんなドクターを気遣っていたっけ。
明け方、家に戻り、その日の午後は友人の結婚式の2次会へ。
何かあったら連絡をください、と団長に伝えておいた。
午後4時くらいだったろうか。
電話が入る。
亡くなった、と。
急いで病院へ向かったが、彼女には会えなかった。
葬儀の詳細が決まってからでいい、という団長を前に、とにかく今すぐ団員に連絡すべきだ、と主張した。
お見舞いに行ってから実は亡くなってます、なんて知らされるのは辛過ぎる。詳細は後で連絡することにして、手分けして電話をかけはじめた。
それからの数日、よく泣いた。
一人暮らしで仕事もない。
歯止めが利かない。
葬儀にはほとんどの団員と、賛助の方も集まってくれた。
仕事の同僚らしい人もたくさんいて、彼女がどんな風に過ごしていたか、改めてわかった気がした。
とても気遣いのできる人だったのだ。
賛助にも、新入団員にも、分け隔てなく声をかけ、気遣った。
優しい人だった。
棺の中には、最後の演奏会の楽譜を入れてもらっていた。
彼女宛に届いていて、私が預かった花も、入れてもらった。
金管吹き同士、口紅をつけたところは見たことがなかったのに、この日はピンクの口紅をして、化粧をしていた。別人のようだった。
葬儀の後、ドクターから
つらいところに付き合わせてしまってすみません、
と言われた。
何のことかわからなかったが、どうやら救急車の車内ですでにドクターはわかっていた、ということだろう。
でも、ドクターだからって知人のそういう場に居合わせてしまうのもとてもつらいことに違いない。
しばらく立ち直れなかった私はマネージャー職を降りた。仕事も見つからないままだったし、とにかく他人の世話をしているような状況、状態ではなかったから。
そんな私のことを気遣ってくれる人はほんの数人だったけど。
降りる、といったのに総会で推薦した人がいた。事前に伝えてあったのに?
推薦しちゃいけない、ってことじゃないもんね〜、と楽しそうに言われた。だから、むかつく、と言ってしまった。そしたら、その後1年くらい口をきいてもらえないばかりか、いろんな人にあることないこと触れ回っていたらしい。9才も年上のくせに、大人げないなぁ。。。まったく。
悪いときには悪いことも続くものらしい。
ちょうどその頃、熱心に勧誘してきた人がいた。
先のことを見通せる「先生」の会に入らないか、と。
入会金100万、月15000円くらいだったか。
100万、って・・・。それを払って「会員」になると、好きなときにその「先生」に相談できるのよ、と知人が言う。
昔からの知り合いがたくさんいたので付き合っていたが、その言動にぼろが出始めたころ、連絡を絶った。あぁ、危ない。まったく。そのおじいさんを囲って食い物にしてるだけじゃないのか。
進むべき道に迷ったら、相談したくなる。が、自分でよく考えて決断する、そのことに責任を持つのは自分自身、それが生きて行くってことじゃないのか。
そんなことを考え、
明日があると思っていても、いつなくなっちゃうかわからない
なんてことも身にしみた、10年前。
あぁ、しっかりしなくちゃね。今の自分。
ーーただいま、平和(?)ぼけ中・・・(^_^;;;;
Hちゃんのお葬式にはこのHちゃんの最後の演奏テープがずっと流れていたっけなぁ・・・。
その年は私にとっても大変な年だった。
年明けに体調を崩し、1ヶ月の休職を申し渡されるも仕事に支障が出るからと2週間で切り上げた。しかし会社の経営が思わしくなく真っ先にリストラの対象とされてしまい、4月末には職を失った。
所属の団体も人間関係のぎくしゃく加減が最高潮だった(自分にとって、だが)。
頼みの綱のMが付き合って間もない彼女とごたごたして憔悴しきってしまったし、自分の生活は危ういし、で、いらいらがつのっていたのは確かなことだ。
それでHちゃんのことも気づかなかった。気づかないふりをしてしまったのかもしれない。
ユーフォの彼女はその年たくさんのソロを受け持たざるを得なかった。もう一人のユーフォが転勤か何かでいなくなって、すべてを背負い込むような形になってしまった。
演奏会直前、Hちゃんの様子はおかしかった。
咳が止まらない。倒れ込むほどに咳き込む。相談されたが、どうにもしようがなかった。
ソロを吹いても今まで出ていた音が出ない。プレッシャーがかかってスランプなのかな、と思ってしまった。
しかし。
一人だけ気づいた人がいた。
ものすごく不安になって私に電話をくれたのだが、このときも私は受け流してしまった。
演奏会直後、賛助の一人となごやかに話している彼女を見たのが最後か。
近くの打ち上げ会場に行って、ごたごたしているうちにメンバーの医者である人を呼ぶ声がした。
振り返ると彼女が倒れている。
'ドクター'はつい立てを彼女のまわりに置くように指示、意識確認を始めた。
救急車を呼んでもらった。
ドクターは救命救急の経歴もあった。うちの団には看護婦もいた。
最終的には病院までの付き添いはこの二人に頼んだのだが、途中、病歴や連絡先の確認などをするまでは私も救急車の車内にいたのだ。
救急隊員ははじめのうち、急性アルコール中毒じゃないのか、とのんびりした様子だった。
もちろん、質問もそういうところから。何しろ、中華料理屋での要請で、30〜40人の飲み会だから、そう見えるだろう。
どのくらい飲んだの、と聞かれる。
こっちはそんなこと予想もしてなかった。
いえ、一滴も。
だって、まだ飲み会始める前だったんです。
病歴も、何故か私は本人から聞いていた。
その5〜6年前か、脳梗塞を起こして、右半身が動かなくなったこと。
今も高血圧で目薬などを必要としていること。
その後はドクターが、
脈が触れません。と言った。
左右どちらかだったのかは忘れたが、確か片方だけ脈が触れなかったらしい。
時折Hちゃんは意識を失いかける。
それをドクターが必死で引き戻す。
痛い、痛いというHちゃん。
痛い場所が増えて行く。
私はパニック発作と戦いながら、それでも彼女を病院へ連れて行って、彼女のご家族に連絡しなければ、と必死に耐えていた。
ナースのSさんが到着。手際よく彼女の服を緩めてくれた。
ここで私は失礼させてもらう。この二人がいてくれれば大丈夫だろう。そう思った。
打ち上げ会場に入ると別世界だった。
そうか、あの様子を知らないから・・・。
何人かに容態を聞かれたが、私にはわからない。
次の日にお見舞いに行きたい、という人もいたが、まだ病院も決まってないし、と答えたのを覚えている。
付き添いで行った二人を待つために、二次会へ。
二人が戻って来たのは真夜中だった。二人とも目を赤くしていた。
後から聞いた話だが、ドクターはHちゃんの状態がよくわかっていたらしい。ナースはそんなドクターを気遣っていたっけ。
明け方、家に戻り、その日の午後は友人の結婚式の2次会へ。
何かあったら連絡をください、と団長に伝えておいた。
午後4時くらいだったろうか。
電話が入る。
亡くなった、と。
急いで病院へ向かったが、彼女には会えなかった。
葬儀の詳細が決まってからでいい、という団長を前に、とにかく今すぐ団員に連絡すべきだ、と主張した。
お見舞いに行ってから実は亡くなってます、なんて知らされるのは辛過ぎる。詳細は後で連絡することにして、手分けして電話をかけはじめた。
それからの数日、よく泣いた。
一人暮らしで仕事もない。
歯止めが利かない。
葬儀にはほとんどの団員と、賛助の方も集まってくれた。
仕事の同僚らしい人もたくさんいて、彼女がどんな風に過ごしていたか、改めてわかった気がした。
とても気遣いのできる人だったのだ。
賛助にも、新入団員にも、分け隔てなく声をかけ、気遣った。
優しい人だった。
棺の中には、最後の演奏会の楽譜を入れてもらっていた。
彼女宛に届いていて、私が預かった花も、入れてもらった。
金管吹き同士、口紅をつけたところは見たことがなかったのに、この日はピンクの口紅をして、化粧をしていた。別人のようだった。
葬儀の後、ドクターから
つらいところに付き合わせてしまってすみません、
と言われた。
何のことかわからなかったが、どうやら救急車の車内ですでにドクターはわかっていた、ということだろう。
でも、ドクターだからって知人のそういう場に居合わせてしまうのもとてもつらいことに違いない。
しばらく立ち直れなかった私はマネージャー職を降りた。仕事も見つからないままだったし、とにかく他人の世話をしているような状況、状態ではなかったから。
そんな私のことを気遣ってくれる人はほんの数人だったけど。
降りる、といったのに総会で推薦した人がいた。事前に伝えてあったのに?
推薦しちゃいけない、ってことじゃないもんね〜、と楽しそうに言われた。だから、むかつく、と言ってしまった。そしたら、その後1年くらい口をきいてもらえないばかりか、いろんな人にあることないこと触れ回っていたらしい。9才も年上のくせに、大人げないなぁ。。。まったく。
悪いときには悪いことも続くものらしい。
ちょうどその頃、熱心に勧誘してきた人がいた。
先のことを見通せる「先生」の会に入らないか、と。
入会金100万、月15000円くらいだったか。
100万、って・・・。それを払って「会員」になると、好きなときにその「先生」に相談できるのよ、と知人が言う。
昔からの知り合いがたくさんいたので付き合っていたが、その言動にぼろが出始めたころ、連絡を絶った。あぁ、危ない。まったく。そのおじいさんを囲って食い物にしてるだけじゃないのか。
進むべき道に迷ったら、相談したくなる。が、自分でよく考えて決断する、そのことに責任を持つのは自分自身、それが生きて行くってことじゃないのか。
そんなことを考え、
明日があると思っていても、いつなくなっちゃうかわからない
なんてことも身にしみた、10年前。
あぁ、しっかりしなくちゃね。今の自分。
ーーただいま、平和(?)ぼけ中・・・(^_^;;;;
2009年11月24日火曜日
2009年11月21日土曜日
2009年11月15日日曜日
耳と足
ここしばらく耳の調子が悪い。たぶん。
練習で音出ししたら、自分自身の調子が悪いんだと思ってしまった。
合奏始まったら違ったのだ。全部の音がおかしく聞こえてしまって、かなりびっくりした。
フルメンバー揃ってないけど、耳がわんわんしてしまう。有毛細胞がだめになっちゃう〜(;_;)
ということで、ソッコー耳栓を買いに走った。
イヤーウィスパーなどいくつか買ってみたが、いずれも私の耳の穴には大き過ぎるし、これをつけて楽器を吹くのは吹きづらかった。たぶん骨伝導で聞こえてしまって聞こえ方も違うし、自分の音しか聞こえない感じ。
パイパーズの2007年12月号に「音楽家と難聴」という記事があり、そこに紹介されていたシリコンの耳栓を試すことにした。
とても柔らかく、形が簡単にかわる。穴には入れないでください、と書いてあるので気をつけながら耳へ。
耳の中に入れる「耳栓」とは違って、耳の穴の外側を覆うような形になる。
もちろん、聞こえ方は違うけど、まぁまぁな感じ。
狭い部屋でみんなで音出しするときなんかには、かなりいい。
まぁ、やっぱり耳栓なので、合奏にはちょっと(^^;かな。
木管のppなんかは聞こえない気がするから、オケとかはムリだろうな。
せっかく膝の調子が良くなったのに、これだよ・・・。
っていうか、足もほんとに気をつけないといけない。
膝であろうとどこであろうと、股関節や腰に影響がすぐ出てしまうから。
結局、膝を傷めたあと数日はまともに歩けなかった(すぐに腰やらなんやら痛くなって、歩き続けられない)からなぁ。
あぁ、年寄り臭いな、ほんとに。
練習で音出ししたら、自分自身の調子が悪いんだと思ってしまった。
合奏始まったら違ったのだ。全部の音がおかしく聞こえてしまって、かなりびっくりした。
フルメンバー揃ってないけど、耳がわんわんしてしまう。有毛細胞がだめになっちゃう〜(;_;)
ということで、ソッコー耳栓を買いに走った。
イヤーウィスパーなどいくつか買ってみたが、いずれも私の耳の穴には大き過ぎるし、これをつけて楽器を吹くのは吹きづらかった。たぶん骨伝導で聞こえてしまって聞こえ方も違うし、自分の音しか聞こえない感じ。
パイパーズの2007年12月号に「音楽家と難聴」という記事があり、そこに紹介されていたシリコンの耳栓を試すことにした。
とても柔らかく、形が簡単にかわる。穴には入れないでください、と書いてあるので気をつけながら耳へ。
耳の中に入れる「耳栓」とは違って、耳の穴の外側を覆うような形になる。
もちろん、聞こえ方は違うけど、まぁまぁな感じ。
狭い部屋でみんなで音出しするときなんかには、かなりいい。
まぁ、やっぱり耳栓なので、合奏にはちょっと(^^;かな。
木管のppなんかは聞こえない気がするから、オケとかはムリだろうな。
せっかく膝の調子が良くなったのに、これだよ・・・。
っていうか、足もほんとに気をつけないといけない。
膝であろうとどこであろうと、股関節や腰に影響がすぐ出てしまうから。
結局、膝を傷めたあと数日はまともに歩けなかった(すぐに腰やらなんやら痛くなって、歩き続けられない)からなぁ。
あぁ、年寄り臭いな、ほんとに。
2009年11月10日火曜日
2009年11月4日水曜日
やっちゃった
昨日、クローゼットの整理を思い付いた。
うちのは段を組み換えて使えるので、猫たちが入り込んでも服が毛だらけにならないようにもしたかった。
うちのは段を組み換えて使えるので、猫たちが入り込んでも服が毛だらけにならないようにもしたかった。
ところが。
一番上の棚板を落下させてしまった。しかも、左膝を強打(^_^;)
人生初めての強烈な痛みに、さすがに声が出ずうめき声をあげるのが精一杯。
ダンナが家にいて良かった(^_^;)
幸いなことに切れなかったので痛みのみ。
屈伸が無理みたいで、うっかり曲げ伸ばしして、固まること数回。
トイレに座るのも立ち上がるのも辛い、ってことは階段も当然痛いわけで…。
来週は整形の診察(年1回の)、再来週はリハビリなんだが…(^_^;)
いや、それより本番前の練習に、果たして通えるのだろうか(-_-;)
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